私とリンナが出会ったのは、1989年12月13日。 とても寒い日でした。 ちょうどその1年前から一人暮らしを始めた私はなんとか物をそろえ終わると 心もとなく、寂しくなってきてしまって、文鳥を飼い始めました。 とっても可愛くて、手の中ですっぽり安心して眠ってしまう姿に本当に癒されたのだけど 悲しいかな、文鳥とはそのまま一緒に眠るわけにいかず、必ず鳥かごに戻さなければいけない。 フワッとした柔らかいものを抱いて一緒に眠りたい〜 と思うようになってしばらく・・ある子猫の写真入りのチラシがポストに入っていました。 「ペルシャ猫譲ります。1〜3万。」 ・・・可愛い。。とっさに思ってしまったのだけど、、 いや、でも・・・私は猫が嫌い。 正確には嫌いというよりは、 怖い、というのが正しいのだけど。 昔から動物に対しては、「怖い」という気持ちが先走ってなかなか自分を開けずいた のだけど、その中でも特に、猫はこわかった。 彼らは、柔軟でよく撓る身体をもち、とても俊敏そう。 長い武器のようなツメもあるし、足音を立てず忍び寄るし、 下手に近づくとひっかかれそうな侮れない雰囲気を発していて、 遠目に見ているだけで精一杯。 私にとって猫はそういう存在。 もちろん一生、縁のないものとして、信じて疑わなかったのです。 それなのに、思わず「可愛い」って思ってしまったのは、 自分でも驚いたけど、それには理由があって、 あの苦手な独特のシルエットがフワフワの毛に包まれていて、 まるでぬいぐるみのようだったから。 いわゆるペルシャ猫の子猫は、私の典型的な猫のイメージからほど遠いものだったのです。 「これなら、私にも飼えるかも」そう思ってしまったが運の尽き、、 それでも、一人で行くには、少々勇気が足りなかったので、お友達のIちゃんについてもらって、 とりあえず、そのペルシャの子猫がいるお家にいくことに。。 子猫は、5匹。ぜんぶくっついていて、一塊になっていた。 横をうろうろするシルバーのお父さん猫と、黒猫のお母さん猫の大きさが気になってしょうがなかったけど、 でも、目の前にいる子猫は文句なく可愛い。飼い主さんの優しい雰囲気にも後押しされ、 ここまで来たら、もう後戻りできない、と腹をくくって、 その中から一番小さな子を選びました。1万〜3万。って書いたあったので、とりあえず、2万円を渡して。 それでも怖いのには変わりないから、1ちゃんにその子を抱いてもらって、家まで送ってもらいました。 (ほんとにアリガトウね〜〜) パタンとドアを閉めて、二人きりになった部屋は、なぜか同じ部屋なのに、まったく別のものに変ってしまった感じ。 常に、動いているもの、生命を持つものがいつも自分の側にいる。 その変ってしまった空気みたいなものが、ジワ〜っと、喜びに変わり、 私に溶け込んでいく。 ただ、最初の夜だけはとてもじゃないけど、一緒に寝るどころではなく、廊下に毛布と一緒に閉め出してしまったのだけど。。 でも、そんなことをしてしまったのは最初の夜だけ。 彼女が私の一番大切な宝物になるまで、ほんとに1週間もかからなかったのだから。。 私は大槻ケンジの詩集「リンウッド・テラスの心霊フィルム」に出てくる 猫のテロリスト、リンナから名前をとって、「リンナ」と名付け(そのまま(笑) 彼女とふたりの生活を9年間、そして 私の娘が生まれてから3人(人っていっていいのか)での10年間 計18年と7ヶ月、今現在も、一緒に過ごしています。 その間、 病気ひとつぜず(一度マンションの4階から落ちるという衝撃の事件があったのだけど) 本当に健康で、ここまできました。 飼い主の器に合わせてくれているのか、おとなしくて(でも、気は強い) めったに鳴かない、手を煩わせることもほとんどなく、本当におりこうさんの子です。 18才までは、老化現象さえ感じることもなかったけれど、、 18才の誕生日を過ぎたあたりから、急激に毛がうすくなって、食べても痩せていくばかり。 もうペルシャ猫の面影もないくらいになりました。 それに、ここ2週間くらい前から、急に足腰が弱ってきて、ソファにさえ上がることができず、 歩くのさえきごちない。急に暑くなったせいか、食べる量が見るからに減っています。 あと、どれくらい一緒にいれるのかー。 考えては泣いて。。その繰り返し。 でも、泣きすぎて思ったのは、それは、結局、自分の為に泣いてるって。 だから、泣くのは、もっと後。 毅然と彼女の最後を看取るのが、私の役目。 私ができることは、ただ、痛みや苦しみをできる限り取り除いてくれるように、 祈り、見守るしかできないのだけど。。
by hitomille
| 2008-07-16 21:50
| リンナ
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